お薬師さんの季節
薬師のまつりは5月8日と決まっていますが、食事会場となった「ねおかんぱーにゅ南部」の近く、旧原通村(新潟県妙高市)の寺尾地区の薬師さんは、以前より5月5日に春祭りとして行われています。
令和4年の冬は雪が多く、八十八夜を過ぎ、立夏を過ぎても朝晩は寒い日があり、田んぼや畑の農作業が遅れています。山椒の花がようやく咲き揃い、里のウドが芽を出し、葉山葵の初物が届く陽気でした。
〜栄養士より一言〜
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アルバム「令和4年 寺尾薬師」(Google Photo)
人口減少と、地域のシンボルとしての氏神信仰について
日本では少子高齢化に歯止めがかからず、地方創生により、都市への一極集中を是正する動きがあります。妙高市も地域によって人口の偏りが目立ち、商店の閉店や学校の統合など、不利な過疎地生活が、一層の問題を引き起こしています。
「いつまでここで暮らせるの? 大切だと思って代々守ってきたものはどうなってしまうの?」と、危惧する声は自然と高まります。
そもそも地域の宝とは何なのでしょうか。守るべき人が守れない、荒廃して無くなったとしても困らないものは、もはや宝と言えるのでしょうか。氏神様も同じ苦境に立たさせています。
佐渡の金山を世界遺産指定へと、新潟県や自治体が動いています。文化財は保存に多額の資金を必要とすることから、その価値を問われ、観光資源化によって保護・活用を推す時代でもあります。
地域の子孫は、生まれ育った土地を次々に離れ、たまに戻っても、遊びが少なかった頃の寺の境内の縁日を懐かしむ程度。将来のために、お金をかけても氏神様を残すべき。という思いは薄いと聞きます。そうした地区では、かつての村のシンボルは、現在残る住民と共に消滅していき、資料の中のものとなっていくことでしょう。
集落の守り神の存続も、歴史遺産としての価値、美術的価値、さもなくば観光スポットとして活かせるか、などと、そもそもの存在意義とは別の視点で取捨選択が求められているのかもしれません。
すると、間違いなく住民以外の人の手を借りることになると思いますが、どのような場合においても、地域を思う気持ちであるとか、なぜここに存在したのか、そうした、それぞれの心の声を聴く姿勢が無ければ次の展開は生まれてこないものだと思います。(村シェフ)