2022年5月25日水曜日

楡島民謡「コロつぶし歌 」を聞きながら〜♪ 田起こしの季節のお弁当をいただきます

昔は1ヶ月もかかって行っていたという、かつての田植えも、 機械化で短期間で終るようになってしまいました。それにしても稲作りには、農業とは無縁の人たちにとっては、びっくりするほど多くの仕事があるものです。

妙高市楡島(ねおかんぱーにゅ南部の住所地)に「コロつぶし歌」という民謡がありますが、コロつぶし(耕運機が導入される前の田起こし後は、土のコロを砕く作業があった)をする必要もなく、もう誰も歌える人がいなくなっているようです。

今回の「お食事 のこと」では、この季節においしいフキや、山椒味噌を塗ったタケノコのおむすびを加え、コロつぶし歌(録音)を聞きながら、料理を召し上がっていただきました。


資料

田起〜コロつぶしについては、飯吉達雄著の「昔の稲作りの手順」に詳しく書かれています。→ こちらをクリック




2022年5月14日土曜日

「寺尾の薬師」にちなんで、お薬師さんの季節のお弁当

 




お薬師さんの季節

薬師のまつりは5月8日と決まっていますが、食事会場となった「ねおかんぱーにゅ南部」の近く、旧原通村(新潟県妙高市)の寺尾地区の薬師さんは、以前より5月5日に春祭りとして行われています。
令和4年の冬は雪が多く、八十八夜を過ぎ、立夏を過ぎても朝晩は寒い日があり、田んぼや畑の農作業が遅れています。山椒の花がようやく咲き揃い、里のウドが芽を出し、葉山葵の初物が届く陽気でした。

〜栄養士より一言〜

「」

寺尾の薬師について(地元の古川さんにお話をうかがいました)

  • 中頸城郡原通村大字寺尾8「東光庵(トウコウアン)」曹洞宗
  • 創立:寛政4年(1792年)5月1日
  • 本尊:薬師如来
  • 開基:高床山にあったご本尊様を上の屋敷(今の地)に移したと言われている
  • 天尊乗運大和尚(テンソンジョウウンダイオショウ)を開基とする 1世・2世…和尚、3世より尼さんとなる
  • 今の地の前は、高床山の御前清水(ゴゼンシミズ)という所にあったといわれている。その後寺尾へ(今の地に)移したとのこと。御前清水ん美は薬師如来の礎石が残っていたとのことだが、今は雑木におおわれよく解らない。いつ頃移したかもしっかりとしたことは解らない
  • 薬師如来を移すにあたり、寺尾村と片貝村(今の中郷村)で取り合いをして競ったとのこと。見はり番までついたりして大変だったらしいが、結局寺尾村が勝ったため、今の地に移ったと言い伝えられている。
  • 最初は和尚さんだったが2代目が身持ちの悪い人だったらしく、3代目より尼寺となったと言われている
  • 14代石田見法尼イシダケンホウが最後となる。昭和46年薬師寺を去ってより無住となっている。その後は寺尾・坂下部落で管理、維持している
  • 以前は毎年5月8日(今は5月5日)寺尾薬師のお祭りとして、寺尾・坂下はもとより、中原・大原・小原・猿橋方面からも沢山の人が参拝に来た。その頃は出店も多く出てにぎやかだった。
  • 今はそれもなく淋しくなった。少し前まで、田中村圓光寺のご住職の説教や、子供会で焼き鳥、おでんを作ったりしたものだ。今日では、寺尾・坂下の人が数人おまいりにに来るのみとなった。
  • 以前庵主さんがおられた頃は「団子まき」をしたり、境内にある畑を作ってもおられた。近所の人も、畑仕事の合間などに庵主さんとよくお茶飲みをしたものだ。楽しいことも沢山あった
  • 境内には「六地蔵様」=子供のお守りさん、歴代の墓、八幡様(神)がある。

資料


人口減少と、地域のシンボルとしての氏神信仰について

日本では少子高齢化に歯止めがかからず、地方創生により、都市への一極集中を是正する動きがあります。妙高市も地域によって人口の偏りが目立ち、商店の閉店や学校の統合など、不利な過疎地生活が、一層の問題を引き起こしています。
「いつまでここで暮らせるの? 大切だと思って代々守ってきたものはどうなってしまうの?」と、危惧する声は自然と高まります。
そもそも地域の宝とは何なのでしょうか。守るべき人が守れない、荒廃して無くなったとしても困らないものは、もはや宝と言えるのでしょうか。氏神様も同じ苦境に立たさせています。

佐渡の金山を世界遺産指定へと、新潟県や自治体が動いています。文化財は保存に多額の資金を必要とすることから、その価値を問われ、観光資源化によって保護・活用を推す時代でもあります。
地域の子孫は、生まれ育った土地を次々に離れ、たまに戻っても、遊びが少なかった頃の寺の境内の縁日を懐かしむ程度。将来のために、お金をかけても氏神様を残すべき。という思いは薄いと聞きます。そうした地区では、かつての村のシンボルは、現在残る住民と共に消滅していき、資料の中のものとなっていくことでしょう。
集落の守り神の存続も、歴史遺産としての価値、美術的価値、さもなくば観光スポットとして活かせるか、などと、そもそもの存在意義とは別の視点で取捨選択が求められているのかもしれません。
すると、間違いなく住民以外の人の手を借りることになると思いますが、どのような場合においても、地域を思う気持ちであるとか、なぜここに存在したのか、そうした、それぞれの心の声を聴く姿勢が無ければ次の展開は生まれてこないものだと思います。(村シェフ)